イントロダクション

日本で初めての女医、荻野吟子。

医師だけでなく、社会活動家としても
不屈の精神と大いなる愛に生きた波乱の生涯を待望の映画化

日本で初めての女性医師第一号として日本国家が認めた人・・・その人が荻野吟子です。
まだまだ男尊女卑が残っていたあの時代。女性の仕事は、子供を産んで育てるだけで良いと言われたあの時代。
女性たちの悲しい話をたくさん聞いた吟子は、女医になる事を決意します。
そして北海道の開拓地でも、治療費のない貧しい人達を進んで診てあげます。
北海道瀬棚町では、吟子の像が立っている程、今でも吟子に感謝しているのです。そして大正三年、後輩達から慕われつつ吟子は亡くなります。
初めて出版された女医会の本で、巻頭文を吟子は任されます。しかし、その印刷された記事を見る事も出来ませんでした。そして最後まで、一人の子供を産む事も出来ませんでした。
しかし、吟子の後にたくさんの女医が誕生した事を、大変喜んでいました。しかし残念ながら現在の日本では、驚く事に女性医師の数は世界で一番少ないのです!私は、「もう一度荻野吟子先生、生き返ってきてください!!」と叫びたくなり、この荻野吟子の実話を映画化しました。
明治時代、女性解放運動を目指した女性達は、圧倒的にクリスチャンが多いのです。何故なら、当時牧師と宣教師先生だけが、「男も女も平等」と言ってくれたからなのです。
最後に吟子の愛した聖書の言葉を、送ります。
「人その友の為に己の命をすつる。之より大いなる愛はなし。障害のある人も 貧しい人も苦しんでいる人もすべて平等に愛しなさい」

『一粒の麦 荻野吟子の生涯』にかける思い
監督 山田火砂子

皆様、私達女性は戦争に負けて初めて女性解放運動が出来ました。
明治時代の封建制度の中「女三従の道」や「女三界に家なし」の女性蔑視社会で、女性は従うしかないという教育の中、女性解放運動に尽くした女性がいました。その一人が荻野吟子です。
吟子は医師という職業をあたえてくれない明治時代に十八年もの間勉学に明け暮れ、日本第一号の女性医師となりました。
彼女は十八歳で結婚し、夫より病気を移され、医師はすべて男性だということ、そして、男性医師に自らの体を見せるのが嫌で自殺をしたり、生涯医者にかからず痛みに耐えている女性の多さを知り、自らが女性医師となることを決意します。
つい先日、大学医学部の入試における男性有利が問題になっている、私は明治時代にさかのぼったかと驚きました。どうかこの映画で吟子の一生を観て頂いて考えていただけましたら、私は大変うれしく思います。
荻野吟子はこの功績が認められ埼玉県の三大偉人(他二人は渋沢栄一・塙保己一)の一人になりました。その陰で女性解放の為に戦った女性がまだたくさんいると思います。私はこの映画をその女性の方々に捧げます。